2012.01.15

西條八十、生誕120年

 今日、2012年1月15日という日は、詩人・西條八十が生まれてきっかり12年目に当たる日である。
 しかしながら、私の知る範囲、この祈念すべき日を祝う催しなどが開かれたという話を聞かない。昭和を席巻した大詩人も、今ではすっかり過去の人ということか。
 八十について私は、過去このブログで2つの文章を書いている。

「プロの新宿あの武蔵野の……」
http://grossherzigkeit.air-nifty.com/shinsen/2006/05/post_4a85.html

西條八十とJASRAC
http://grossherzigkeit.air-nifty.com/shinsen/2006/05/post_4a85.html

 5年前のものではあるが、八十の専門家というわけでもない私は、今でも八十についてこれ以上書くことがない。
 上の2つの文章で、私は八十批判とも取れるものを書いている。しかし彼の「巧さ」は否定しようがない。彼の生き方というものについて私はいろいろな意見があるが、彼のテクニックというものには何の文句もない。純粋詩から軍歌、歌謡曲までをものし、ランボーに関する一級の研究論文まで書いた。こんな「巧い」人は、20世紀の日本詩壇のどこにもいなかった。
 誰も祝わぬ彼の生誕120年記念日に、私は八十が関わった以外の音楽を聴かぬようにして過ごした。童謡から歌謡曲、軍歌までいろいろ聴いたが、夕方、夜になるにつれて再生回数が増えていったのは、クラシックや、クラシック寄りの作曲家が書いた童謡だった。特に八十と同じく「都会的感覚」を讃えられた橋本國彦による「お菓子と娘」は延々と繰り返されるものになった。
 後世に残る、スマートでダンディな印象に反し、八十は結構な苦労をして這い上がってきた前半生を持つ。それゆえに「王将」あたりの歌詞までものすことができたのだろうが、八十の死後、その愛娘・嫩子は、父の遺した作品に対する露骨な歴史改変を行いだす。
 嫩子はかなりの年齢にいたっても八十を「パパ」と呼び、父が死ぬまで八十の膝下にい続けた人で、そして「パパ」は「俗っぽい歌謡曲」などではなく、「芸術詩人」として世に遇せられる人物であると強く思っていた。だから嫩子は八十の死後、彼の純粋詩系統の仕事ばかりに脚光を当て、またそれに光を当てようとする出版社などを露骨に厚遇した。当然その逆に、八十の「俗っぽい」遺産には努めて蓋をしようとした。
 嫩子はある疑獄事件に関連して命を絶った官僚を夫に持ち、その事件についてはかなり変な動きも見せた、あまりまともな感性の人とはいえない女だったと私は思っているのだが、それを差し置いても、「お菓子と娘」などに表れる八十の都会的芸術詩には、人を酔わせる麻薬的な何かがある。
 繰り返し言うが、八十は生まれながらの上流階級ではない。一時はテンプラ屋や株屋までやって糊口をしのいでいた成り上がり者である。しかし彼の純粋詩系統の仕事には、そうした「土臭い育ち」がほとんど顔を出さない。よく言われる「詩は人生」式の言葉にのっとれば、八十の詩はまがいものだ。しかし時にまがい物は、真実のもの以上に蠱惑的な匂いを立ち上らせる。
 八十の純粋詩にはそうした匂いがあったのであり、それが嫩子を酔わせ、今日の夕方以降の私も、また酔ったのではなかったのか。

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2011.06.08

新興宗教と私(2)

前回の記事で説明したように、中外日報にとって新興宗教との付き合いは、いわば経営の柱石だった。私もいくつかの新興宗教教団の担当記者として、その定例イベントなどを取材し、「ちょうちん記事」を書いていた。
私自身は、いわゆる「多感な時期」というころにオウム真理教事件を見た記憶もあり、今に至るまで新興宗教というものは、例外なくろくでもないと思っている。中外日報での記者活動を通じて、その確信はますます深まった。その過程を、記者時代を回顧しながら書いてみたい。

新興宗教のイベント取材というのは、伝統教団のそれとはまったく感じの違うものだった。
たとえば伝統教団でも、市民会館などを借りて法話イベントを行ったりすることがあるが、取材のやり方は自由であった。一般参加者をつかまえて感想を聞いたり、楽屋を訪ねて出演者に挨拶しに行ったりといったことを、どしどしやっていた。主催側が報道用の席を用意してくれることがあっても、それはあくまでも「好意」であり、イベント中は好きに移動して写真を撮ったりしていた。
しかし新興宗教の取材はガチガチに統制されたものだった。ある教団のイベントを取材するときに書かされた誓約書には、「一般参加者の写真を撮らないこと」「一般参加者の声を取材しないこと」という項目があった。会場では記者席がきちんと決められており、そばには広報担当者がしっかりと張り付いていて、勝手な移動が出来ない。「記事のゲラを見せろ」という声は意外になかったが、しかしそれでもそういう取材しか出来ない以上、式次第を写すように当日の流れを書き、教祖先生の法話を写し、広報担当者から聞いた出席人数を書き加えて「よかったですねー」というような内容にならざるを得ない。
しかし「統制された取材」とはいっても、それは決して強圧的というのではなかった。例えば、私が担当していたある教団の、定例的なイベントを取材するときの典型的な流れを紹介しよう。
私はまず教団施設の、一般信者用の入り口とは違う、通用口のようなところに来るよう求められる。広報担当者がにこやかに出てきて応接室に通され、その日のイベントの概要などについて話し、事前の質問などはないかたずねられる。しばらく談笑して、イベントの開始が近づいたら、広報担当者の先導によって会場の記者席に案内される。私は基本的にそのポジションのみから写真を取り、取材ノートにイベントのあらましを書きつづっていく。
イベントが終わると、また広報担当者の案内で応接室に戻り、お昼ごろの時間であれば弁当などが出て、担当者とお茶など飲みながら、また質問や談笑などをする。帰るときにはお土産さえ持たされ、最寄り駅まで自動車で送ってもらう。
非常に待遇はよく、なんだか恐縮してしまうくらいだったが、この流れをよく読み返してほしい。私は一般信者とは顔を合わせる機会さえなく、イベントの表面をなぞるような取材しかさせてもらえていない。きわめて統制された取材しかできていない。恐縮するような厚遇を受けながら、私は毎度毎度、舌を巻く思いだった。しかもその教団施設には、玄関から廊下から応接室からイベント会場から、すべての場所に監視カメラが備え付けられていた(さすがにトイレにはなかったが)。
先日からの書き込みで、私は現代の伝統仏教の僧侶たちには、結構いい加減な人も多いということを紹介してきた。しかし私が知る限り、新興宗教の関係者というのは、すべて立派な社会常識を備えた紳士だった。少なくとも表面的には、驚くほどの好人物ぞろいだった。しかしその「隙のない好人格」ゆえに、彼らの素顔はどんなものなのか、真意は何なのか、それどころか休日の趣味や家族の構成まで、とにかく公的な顔以外はほとんどうかがい知ることが出来なかった。その「好待遇の裏にある統制ぶり」は半端なかった。

しかしイベント自体のやり方は、伝統教団のそれと比べて感心させられることが多かった。
だいたい伝統教団の僧侶に比べて、新興宗教の人たちは法話が抜群にうまい。もちろん伝統教団にも法話の名手はいるが、平均点で言えば新興宗教の方に軍配が上がると思う。
導入は必ず「昨日買い物に行ったら…」とか「テレビを見ていますと…」といった卑近な例から始まり、途中では笑いが取れるような砕けた表現も交え、「皆さんどう思いますか?」とか、「おや○○教区の人が来ている」といった、客席との「双方向性」を非常に重視し、しかし最後はまったく強引とは感じられない形で教義の話に収束させ、感動的な結論に落とす。「単なる話芸じゃないか」と思う向きもあるだろうが、少なくとも「眠い話」「退屈な話」というものを、私は新興宗教の法話で聞いたことがない。あざとい感じもするが、青少年部に所属する少年少女たちが演壇に上がることもあり、それらと同世代の子供を持つのであろう年齢の人々は、目を細めてそれに聞き入っていた。
教祖級の人が舞台に上がる際には、リングにアントニオ猪木が向かうがごとくの照明・音楽演出が施される場合もあり、その高揚感たるや、信者でもなんでもない私でさえ圧倒され、感動してしまうことがあったほどだ。
伝統仏教の法要行事では、読経はほとんど僧侶たちだけが行うものになっているが、新興宗教ではほとんど必ず、会場一体で経文を唱和する。そしてその経文自体が考えられている。ある教団では、経文の読み上げ方に、単純ではあるもののきれいな節がつけられており、まるで合唱を楽しんでいるような読経が展開される。またある教団では、伝統教団では漢文そのままに読み上げているお経をすべて読み下し文にしてあり、読みながら「意味が分からない」ということがない。
また信者たちは会場に入ると、大まかではあるが「青年部はここ」「○○教区はここ」と座る場所が指定されていて、みんな仲間で和気藹々。だれも「ひとりぼっち」のような感じの人がいない。
「新興宗教なんて洗脳まがいのことをやってるだけだろう」と言う人々もあり、私もそれには一部賛成であるものの、伸びるべくして伸びた部分も確実にあると思う。実際、新興宗教の法要行事のレベルは、上に書いたごとく、伝統仏教のそれに比べて結構高いと思うのである。

しかしそれでも私が新興宗教に否定的なのは、結局彼らは「裏」を見せないからだ。
報道してほしいイベントなどの告知は散々送ってくるが、人事や機構改革などについてはまったく知らせてこない。あるとき、某週刊誌に私の担当していた教団のゴシップ記事が載り、「内部でこんな人事があって、こういう新組織ができた模様」などと書いてあったので、ある機会にそれとなくそのことを尋ねてみたのだが、まるで聞こえなかったかのように無視され、話の方向も変えられた。購読料や広告料の多さに恐れて、自分で積極果敢なアタックが出来なかったのも悪いのだが、結構頻繁に出入りしていながら、結局私は新興宗教の「公式発表」以外を記事にすることがまったく出来なかった。むろん、それはほかの多くの同僚にも共通する。結局「そとづら」がいいだけで、内面で何をやっているのか、何度通ってもまったく見えてこなかった。
そしてもうひとつ。新興宗教には宗議会がない。おそらく教祖やその取り巻きたちが専決的に内部の方針を定めているのだろうが、「下々の声」を吸い上げるシステムが新興宗教には存在しない。新興宗教の中には、教祖が世襲になっているところも多い。いつか「バカなボンボン」が出たら、その瞬間にカルト化する危険性をはらんでいる。実際にカルトとは違うが、ある世襲の「若君」がこれまでの歴史的な方針の大変革を訴えだして、さすがの「そとづらのよさ」を誇る新興宗教であっても、何かの内部波乱が垣間見られた教団もあった(情けないことに記事には出来なかったが)。
私は最近の投稿で、伝統教団の宗議会というシステムがいかに腐敗しているのかを書いてきた。しかし一つだけ言っておきたいことがある。その組織が「腐敗している」ことが分かるというのは、じつは一定の透明性があるという証拠なのである。私の取材した新興宗教は、外面は非常に美しかったが、内面がどうなっているのかはほとんどうかがうことが出来なかった。私はそんな不気味な組織より、汚いことが「透明になって見える」伝統教団の方が組織としてはるかにまともだと信じているし、そして好きである。
宗教を扱う新聞にいると社外の友人などに言うと「怪しい宗教の見分け方を教えてくれ」と聞かれることがたびたびあった。私の答は過去にも未来にもたった一つである。「宗議会があるかないか」。オウム真理教には「大臣」はいたが、「議員」はいなかった。われわれはその事実を、よく理解するべきである。

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新興宗教と私(1)

あるtwitterのフォロワー氏から、「あなたの古巣である中外日報と新興宗教の関係実情について教えてほしい」というダイレクトメッセージが来た。これは非常に面白い質問なので、これから書いてみたい。
ただ、私は結局、中外日報社の一ヒラ社員に過ぎなかった人間である。会社の詳細な経営データというのも知らなかったし、社上層部と各教団の「トップ外交」がどうなっていたのかも知らない。だから以下に書くものは、あくまで「中外ヒラ社員が見た新興宗教」というものである。だからタイトルも「新興宗教と私」にさせていただきたい。
それから、伝統仏教教団をいくら腐したところで、「拉致される」「暗殺部隊が来る」などといった心配はまったくないが、新興宗教になると少し事情が違う。だから文中で具体的な体験談を語る部分については、固有名詞の表記などを避けることを許していただきたい。所詮いまの私は、何の後ろ盾もない単なる弱い失業者である。

私にメッセージをくれたフォロワー氏が、中外日報の読者であるのか否かは知らない。しかし少しでも中外日報という新聞を知っている者であれば、この疑問は当然のものだ。
たとえば中外日報について解説するwikipediaを見ても、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%96%E6%97%A5%E5%A0%B1

「紙面刷新」という項目に、かつて創価学会と大変な癒着関係にあったことが記されているし、その件については、

http://dakkai.org/chugainippou.html

このページにも当時の紙面の画像つきで紹介されている。
こうした昔の話ではなく現在においても、創価学会はもとより、立正佼成会や霊友会、真如苑などの有名新興宗教のイベント記事などが、中外日報には頻繁に載っている。「こうした教団と中外日報の関係は、実際のところどういうものなのだろう」という疑問は、読者であれば当然感じるものであると思う。
結論から言うと、上記の創価学会との癒着時代のごとき状況かどうかは知らないが、一応「きちんとした理由のある金」として、各新興宗教団体から中外日報に多額の金が流れ込んでいることは事実である。しかし繰り返すが、一応それは講読費であったり広告費であったりの、「理由ある金」である。中外日報はきちんとその金に応じた「見返り」を、各新興宗教に与えている。ただその規模が、伝統教団からのものに比べると桁違いに大きいという問題はあるのだが。
伝統仏教の一般寺院が中外日報を講読する場合、当たり前だが講読数は1部であろう。宗務庁や宗門系大学などの大規模な機関が講読している場合でも、せいぜい10~20部だ。しかし新興宗教になると、本部が文字通り「桁違い」の部数を講読してくれていた。新年や暑中見舞いのシーズンなどに、中外日報は各教団からの挨拶広告を募集する。これについても伝統教団とは桁違いの広告費を、実に気前よくはずんでくれた。はっきりいって、こちらが面食らうほどだった。
中外日報の公称部数は8万部である。しかし新聞の公称部数などというものは、朝日や読売であっても正確なものではない。中外日報もそれに漏れず、実数はぐっと少ない。今ここでその正確な数字を暴露することはしないが、本当に公称と比べて非常に少ない。詳しいデータを把握していたわけではないが、中外日報の全発行部数のうち、新興宗教は最低でも20~30%程度の部数を引き受けてくれていた。そしてそれは上に書いたとおり、各地方支部や教会所が1部ずつ取ってくれているのではなく、本部が一括して莫大な数を講読してくれているのだ。そして広告に対する気前もいい。「機嫌を損ねるとどういうことになるか」という恐怖は、上層部だけでなく全社員が共有しているものだったに思う。
一般の雑誌などに新興宗教の話題が載る場合、そのほとんどは金や内部権力の構造、信者数の推移についてなどの、ゴシップ的なものである。しかし中外日報に載る新興宗教の記事は、そのほぼ100%が、法要行事やイベントの報告記事、また本部が発売した書籍などの紹介記事である。そこに批判や独自視点からの検証はまったくなかった。むしろベタ褒めの「ちょうちん記事」である。
中外日報の上層部に、金をちらつかせた新興宗教からの圧力がかかっていたのかどうかはまったく知らない。しかし、「うちの会社は新興宗教からの金で支えられているんだ」という認識は、ほとんど全社員が共有していたもので、そうなると現場発の自主規制が始まるのは当然だった。そして上層部も「オイ、もっとこの新興宗教の内部に入り込んで、独自視点の記事を書けよ」などといったことは絶対に言わなかった。

ただ一応、上層部は付き合う新興宗教の選別はしていたようである。実際に紙面に載っている新興宗教は、創価学会や立正佼成会、霊友会などの「老舗」ばかりで、最近の教団は少ない。「幸福実現党」立ち上げ当時の「幸福の科学」が、中外日報に「おたくの紙面に出たい」と接触してきたことがあったが断ったと、これは重役の口から直接聞いた。
ちなみに創価学会との関係であるが、上述の通り、中外日報はかつて同会と大変な癒着関係にあり、それを反省して紙面を刷新したということになっている。ただ露骨な広告出稿や「ちょうちん記事キャンペーン」がなくなっただけで、まだ創価学会は莫大な数の中外日報を講読しているし、それに対応して中外日報は、すくなくとも私の在籍当時、創価学会の記事を毎号、ノルマとして載せていた。
私が中外日報の採用試験を受け、合格したとき、私もネットで「中外日報」と検索するなどして、創価学会との問題ある過去は知識としては知っていた。しかし紙面も刷新したというし、私も早く就職したかったので、入社までは別に深くも考えなかった。しかし「清算した過去のこと」であるはずなのに、入社前後の研修期間中、会社側の人からこの「創価学会との過去」について説明は一切なかった。それどころか入社してから辞めるまで、社の役職者から公的な形でこの「過去」についての話を聞いたことがない。何かやましいことでもあるのではないかと思って、社内データベースの講読部数や広告費収入のデータを見たら、「やっぱり」であった。ちなみにはっきりとは確認できるわけもないが、社内には「どうもあの人は創価学会の信者らしい」と噂されていた管理職もいた。
ちなみにある日、私は会社の書庫にこもって、取材上必要になった中外日報の過去記事を探していた。創価学会の記事を探していたのではなかったのだが、探していたのはちょうど会社が創価学会と癒着関係にあった時代のもので、紙面を大きく割いて創価学会の提灯記事が載っていた。
その中に、創価学会が日蓮正宗と訣別し、今後信者の葬儀は僧侶抜きの「友人葬」でやるという記事があった。そしてそのすぐそばに、まったく別の記事という形態で、駒澤大学の元総長である奈良康明氏のブッダの思想に関する論説が載っていた。そしてその論説の結論は「ブッダは葬祭儀礼をやれとは言わなかった」というものだったのである。あくまで別記事という形だが、なんとも露骨な編集である。
私は奈良氏とは面識があるが、非常に常識的な、物腰の柔らかい人で、もちろん創価学会とは何の関係もない。当時の中外日報は奈良氏をだますような形で、ブッダの思想に関する同氏の原稿を入手し、創価学会の記事のそばに配置して、いわば奈良氏を「創価の助っ人」として勝手に使ったのである。もちろん過去の話だが、とんでもないことをやったものだと、自分まで恥ずかしくなったのを覚えている。

さて、元ヒラ社員として感じ得た「中外日報と新興宗教の組織的関係」についてはこれくらいにして、次は私が実際に中外日報記者として新興宗教を取材した印象、またその印象と伝統教団との比較などについて、記事を改めて書いてみたい。

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2011.06.07

松下弓月氏に答える:ぜひ宗政界への道を

 ここ数日繰り返して書いてきた、私の仏教界に対する思いについて、何と書き込み中でも何度か言及した、

彼岸寺
http://www.higan.net/

の幹部である松下弓月氏からtwitter上でご反応を賜り、私の書き込みへのご意見、また私の考える「あるべき仏教の姿」についてご下問いただきました。せっかくのご機会です。twitterではなく、ブログで長く書いてみたいと思います。もとより雑文・乱文しか書けぬ身ですが、お付き合いいただければ幸いです。

===========
松下様。
今般は私のごとき無職の素浪人に、そちら様のような、現代日本仏教界の輝ける俊英からお声かけいただき、本当に恐縮です。
酒井雄哉さんの著書にもありましたが、お寺というのは、相手の身なりや肩書きで露骨に対応を変えてくる、大変差別的な所です。それはかつて、寺に日参するのが仕事だった私も、経験上とてもよく知っています。リアルの世界であれば、松下様と私など、話もできない間柄でしょう。それを可能にしてくれたインターネット技術の進展にも感謝しつつ、論に入りたいと思います。

彼岸寺様や應典院様、また神宮寺様の活動について、松下様は「葬式仏教からの脱却よりプラスアルファを目指すという見方のほうが正確」と仰いました。なるほど、この「プラスアルファを目指す」というお言葉には、私もひざを打ちました。しかし、それはやっぱり「アンチ葬式仏教」でしょう。中村甄ノ丞様(http://twitter.com/#!/ms06r1a)がすでにご指摘の通り、それは「僧侶は一芸あって当然という状況を産んでしまう」からです。
定年退職したサラリーマンが、職場という軸を失って何も出来なくなる、といった話は、いろいろなメディアなどでもよく聞くところです。普通の人というのは、やはりそんなに引き出しを多く持ってはいないものです。
松下様、やはりあなた方は間違いなく「すごい人たち」なのです。先の書き込みでも引きましたが、彼岸寺のこのページを虚心に見てください。

http://www.higan.net/about.html

東京大学卒、国際基督教大学卒、カリフォルニア州立大学よりMBA取得、ネパール国立トリブバン大学客員研究員、漫画家…。皆様方は仏教界云々さえ飛び越えて、一般社会からの視線で見ても大変なエリートです。そういう人たちに「プラスアルファ」はそう難しくもないことでしょうけれども、それと一般のご寺院様を混同して話すのは非常な間違いです。應典院様や神宮寺様にも、これまでいろいろ書いてきたような、さまざまなアドバンテージがあります。
「普通の人たち」から見て、そういう特別な背景を持った人々に、「自分たちのようなプラスアルファを持つべきだ。そうしないとこの先あやうい」などと言われたら、理屈を飛び越えて反感を買います。たとえ僧侶であってもです。その意味で、やはり皆様方は「アンチ葬式仏教」であり、「アンチ旧来型仏教」なのです。
その方々のお名前を出すのはあまりに礼を失するのでやめますが、例えば神宮寺様のご著書に対し、「好き勝手なこと書きやがって」といった感想を口にする僧侶の方々は、結構おられました。私としてもそういうものはレベルの低い発言だとは思います。しかし「金持ち寺の道楽」とは私の言葉ではなく、ある僧侶の方から聞いたものです。現実としてそういう状況があるです。
「僧侶がそんなことでいいのか。もっと自覚を持って自己を磨くべきだ」というのは、理屈としてはまったく完璧なものです。しかし松下様。私は思うのですが、日本の仏教というのはその歴史上、一部の高僧たちを除いて、腐敗していなかった時期というのがないのではありませんか。
戦国時代までは僧兵や、本願寺の一揆軍団のような存在が普通にありました。江戸時代の僧侶は、戸籍管理官の地位や寺領の上にあぐらをかいていました。明治から昭和初期までは、引き続いて寺領の上がりで食い、天皇制とともにあった軍国主義を露骨に擁護していました。そして今は「葬式仏教」です。
松下様、私は所詮僧籍もありませんし、暴言だと自覚しながらあえて言います。こんな歴史を経てきた上で存在する「宗教者」たちが、すべて自覚的に自己研鑽してプラスアルファを獲得できるとお思いですか? 実際、あなた方は反感さえ買っている。
土屋敏男さんというテレビプロでユーサーの方が、こんなことを仰っているといいます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E6%95%8F%E7%94%B7 より 実は、ぼくら地上波のテレビをやっている人たちは、視聴者を信じていないんですよ。見ている人のことを、かなりモノがわからない人だと想定して、その人たちにどう見せるかと工夫しているんです。ものすごく悪い言い方をすると、もう「馬鹿にどう見せるか」と、みんな絶対にクチには出さないけれども、どこかの所ではみんながそう思っているようなフシがありますね

この発言自体の是非はおいておいて、私が仏教界に出入りしていて非常に驚いたのは、一般レベルのご寺院の中には、在家の人にもあまりいないような、病的な遊び人や知的怠惰症の住職が多かったことです。私は中外日報入社前、一般企業の取材をやる会社で働いていたこともありますが、どんな企業の重役だって、本当はどういう人か分かりませんけれども、外から記者が来たということになれば、神妙な顔をして取材に答えていました。
しかしお寺の住職と来たら、昼から酒を飲んでいたり、ステテコで出てきてそのまま対応したり、日没になるとすぐなじみの女のいる風俗店に飛んで行ったたり(その予約を私の眼前でする)、目を疑うことの連続でした。ある程度気心の知れた仲になってならともかく、初対面でそういう態度の人も相当いました。それが決して「ほんの一部」とはいえないレベルで。
もっとも、すばらしい人はどこまでもすばらしい人たちでした。しかし私はそういう経験から、一般レベルのご寺院様の資質に、ほとんど期待していません。上で挙げたほどにひどいは人でなくとも、「普通の僧侶」の方々は本当に、宗教者として何か特別なものを持っているわけでもなく、「町の普通のおじさん」と同程度に普通です。
外部の私が見てもそうなのです。松下様だって、こんな現状はご存知でしょう。その上でなお、自分で研鑽してプラスアルファを持つ、「自己改革型」で旧来仏教を変えられると、本当に思っておいでですか?
「120%そう思っている」とお答えになるのでしたら、もう松下様とのお話はここで終わりです。100年お話ししても、松下様と私の間に共通の認識は生まれないでしょう。しかし「お前の言うことにも分がある」と思っていただけるのでしたら、この後もお読みいただきたいと思います。

私はやはり日本仏教の改革は、少なくとも教団レベルで僧侶の資質をきちんと管理するシステムをつくって、基準に満たねば「留年、停学、退学」もありえるような体制でやるべきだと思います。教師資格は更新制にすべきでしょう。そしてそのシステムの中核にあるのは、やはり現状では宗議会と、それがうまく「政治主導」できる宗内行政機関だと思うのです。
もちろん、宗議会などというのは仏教界の腐敗が集中しているような場所です。しかし一応、制度上その腐敗は、選挙を経て「掃除」できるではありませんか。
松下様。あなた様は私に、「あなたの考えるあるべき仏教の姿は?」とご下問なされた。いま、はっきりと申し上げましょう。私の考えるあるべき姿とは、松下様が宗務総長に就任しておられるような姿です。松下様のような、才能と気力にあふれた偉大なる英傑が、宗内有権者の磐石な支持を受けて、宗議会議員に当選し、内局役員も経験して総長に座る。そのようなことが可能な仏教界になってくれることが理想です。
この選挙を経るということが重要なのです。私は彼岸寺様や應典院様、神宮寺様らの活動を、浄土真宗本願寺派の大谷光真門主の行動と重ねて「エリート主義」だと批判しました。どんなに腐っていても、「民の声」を聞くのは重要です。そしてどんな偉人であっても、絶対権力者の椅子に座った者は必ず腐ります。だから人類は、幾多の戦乱や国家体制の崩壊を経験しながら、「やはり民主主義が一番なのだ」と現在の政治のあり方をつくったのではないでしょうか。「宗教の世界はまた別」という意見は、私は先に述べたとおり、現状の日本仏教界の僧侶の方々の資質問題から容れることが出来ません。
松下様以外でも、彼岸寺様の各メンバーが、また應典院様や神宮寺様らが、総長や宗議会議員として教団の中枢でバリバリと改革を行っている姿を想像すると、私は非常にわくわくするものを抑えることが出来ません。皆様方の才能を待っている椅子が、日本仏教界には存在していると思います。
もちろん苦難の道でしょう。現状ですぐに立候補して受かるとは、失礼ながら私は思いません。しかし彼岸寺様メンバーや應典院様や神宮寺様は、一寺院の住職だったり、任意団体の役職者で終わる人ではないと思います。そのすばらしきご主張の数々は、包括法人のど真ん中でやっていただけませんでしょうか。心ある全国のご寺院は、それを待っていると思います。

これが、あまり聡明でもない、単なる失業者の私の考えることです。松下様やそのお仲間の方々にかかれば、散々に論破されて砕け散る程度のことかもしれません。しかし私は、私淑するエイブラハム・リンカーンの言である、「『穏当でない』という理由で、ある言葉を演説から省き、議論に打ち勝つよりも、自分の言いたいことをすべて堂々と言って、議論に負ける方を私は選ぶ」にならって書いてみました。本当に松下様と私との身分の差を考えれば、私のような者の言葉がそちらに届くこと、それのみをもって幸いとすべきでしょう。インターネットに感謝です。
また最後に、リンカーンと同じ時代に生き、南北戦争直前に、黒人奴隷解放のための一揆を起こして空しく鎮圧された、ジョン・ブラウンという人物の言葉を引いておきましょう。

私を排除するのは簡単だ。現にいま、ほぼ排除されつつある。しかし私を決起させた問題はまだ解決されていない。この黒人奴隷問題は、まだ解決されていない。

 松下様とそのお仲間にかかれば、私をあしらって論破することは造作もないことでしょう。それには、無数にいる松下様の支持者の方々からの攻撃も付随してくるでしょう。私は罵倒され、否定され、数日後にはもう誰からも相手にしてもらえなくなっているかもしれない。しかし私のような愚か者にまでものを考えさせた「日本仏教の危機」は、それで解決されたことにはなりません。
 松下様、あなたは能力のある人です。先日書いたように、その「本気」が仏教界を輝かしく照らすことを願ってやみません。
 時節柄、なにとぞご自愛いただきたく、失礼いたします。

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2011.06.06

「アンチ葬式仏教」の危うさ

 現代の日本において、一般的な仏教寺院がまとまった現金収入を得る手段は、ほぼ葬式に限られる。いわゆる「葬式仏教」がいかに間違った仏教の姿だったとしても、これは動かしがたい事実である。だから「アンチ葬式仏教」を唱える人は、葬式仏教が覆滅された後に、寺はいかにして食べていくべきなのかの「代替ビジネスモデル」を示さねば、無責任のそしりを免れ得まい。
 先に紹介した彼岸寺や神宮寺、應典院などを代表として、いま「アンチ葬式仏教」の言論は花盛りと言っていい状況だ。ただそうした論者たちの口から、納得しえる「その後」のビジネスモデルを聞いた記憶はとんとない。
 私も中外日報社在籍時代から、この問題については無い知恵を絞り続けてきた。さして上等でもない頭からやっと出てきたのは、包括法人が所属寺院に課す所属費である「宗費」の「累進課税」性を高め、ある一定以下の財政基盤しか持たない寺院に対し、ベーシックインカム制のようなものを敷くことくらいだった。しかしこれは宗政界の実権を握る富裕層寺院が猛反発するだろうから、実現の可能性は低い。そういうこともあって「代替案」を持たざる私は、「葬式仏教」のあり方には非常な疑問を感じながらも、「アンチ」論へ安易に与することは極力控えてきたつもりである。
 しかし上述の通り、「代替案なきアンチ葬式仏教論」はいま花盛りである。これは非常に危険な状況である。
 そうでなくとも、現在日本の葬式は揺れている。僧侶を呼ばないスタイルの葬儀である「直葬」の流行や、大手流通チェーン、イオンなども参入してきた葬祭業者の過当競争時代の到来などもあり、葬儀の単価は著しく下がっている。この傾向に、ほかならぬ僧侶自身が唱える「アンチ葬式仏教」の言説が確実に拍車をかけている。
 先に書いたとおり、「アンチ葬式仏教」を唱える僧侶の多くは、富裕な寺院に所属する人々である。つまり一般的な寺院よりも確実に「デッドライン」に余裕がある。そうでなくとも、たとえば彼岸寺の関係者紹介ページを見よ。

http://www.higan.net/about.html

 そこにはMBAとか漫画家とかミュージシャンとか、およそ「普通の人」からは程遠いタレントたちがたくさん並んでいる。これだけの人だったら仏教界に何が起こっても食べていくのに不自由はすまい。そうした人々による、いわば「身内の糾弾」と化した「アンチ葬式仏教」の言説によって、一般の寺院たちが窮地に追い込まれているといった構図はないだろうか。
 先日、このブログに本願寺派の宗議会が事実上解体されたことに対する懸念を書いた。この事件と、「アンチ葬式仏教」論の流行に、私は一つの共通点を見ている。それは「エリート主義」というものだ。
 本願寺派の大谷光真門主は自分の才覚を信じて、自分の力で教団を変えようと宗議会の解体を目論んだ。「アンチ葬式仏教」の人々も、自分の磐石な経済基盤や、身に備わった飛びぬけた才能でもって、従来型の仏教を否定しにかかっている。
 大谷門主も「アンチ葬式仏教」の人々も、優秀な人だもの。どんな激動の時代が来たって生き残れるだろう。しかし世の中では常に、貧者は富者より多く、愚者は賢者より多く、虚弱な者は屈強な者より多く、もてない人はもてる人より多い。私自身が貧しき愚者だから、そのことはすごくよく分かる。しかし現在の日本仏教界の賢者たちは、愚者の具体的救済策を考えることもなしに、まず自分たちだけで安全地帯に移動しようとしているかに私には見える。
 宗議会の腐敗や葬式仏教のあり方など、現在の日本仏教界は問題だらけだ。その改革は絶対に必要なことである。しかし今、私の目には「破壊者」しか映っていない。問題ある現状を破壊した後のグランドデザインをしっかり見せてくれる人がいない。
 まさかこの人たち、あとしばらくして一般の小規模寺院がバタバタと潰れだした時になって、かつて日本の政界で「破壊者」を気取って一世を風靡した人のごとく、「自己責任」論を唱えだすのではあるまいか。
 そんな光景を、私は社会的弱者の1人として絶対に見たくない。

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2011.06.04

「彼岸寺」の本気が見たい

 ホームレス支援を掲げて発行されている社会派雑誌『ビッグイシュー』を買ってきた。

『ビッグイシュー』公式サイト
http://www.bigissue.jp/

 目当ては特集「お寺を開く― 新しい公共空間になれるか?」である。目玉は政治学者の中島岳志と、超宗派の若手僧侶でつくる「彼岸寺」というグループの創立者である、浄土真宗本願寺派の松本圭介の対談だ。
 彼岸寺は、いわば「アンチ葬式仏教」的な立ち位置で活動している団体。そのメンバーは、寺の中に誰でも立ち寄れる喫茶店を作ったり、iPhone向けの仏教アプリを開発したりするなどの活動を展開している、「社会参加型仏教」の先駆者たちだ。実際その公式サイト、

http://www.higan.net/

には、

彼岸寺は、宗派を超えた仏教徒や普通の人達が新しい時代の仏教について考え、行動する、インターネット上のお寺です。一言で説明すれば、『彼岸寺』とはインターネット上に建てられたみんなのお寺であり、凝り固まった仏教をときほぐし、今に生きる仏教を再編集するために創られた、新しいメディアです。人々の宗教離れ、お寺離れが進む昨今、ほとんどのお寺が活気を失っています。それと同時に、お寺の存在価値が、ただ単に葬儀や法事を執り行うだけの場所となりつつあります。

といった言葉が掲げられている。
 それでその『ビッグイシュー』の対談だが、やはり松本は「(旧来の檀家は)仏教というより先祖供養の部分でお寺につながっている人たち」であり、「それとは別に、思想とか宗教とかの面で仏教にアクセスしたい」人たちのための努力も、寺はすべきなのではないかと提言。自分の所属する寺に開設している喫茶店の活動などを紹介する。それを受けて中島は「(この喫茶店は)気軽に来られて、うっとうしくない(笑)、自分自身の距離の取り方でお寺と接することのできる空間」だと、松本の取り組みを賞賛するのである。
 こうした「新しい仏教」運動は別に彼岸寺だけの専売特許ではない。

『寺よ、変われ』
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0905/sin_k473.html

『葬式をしない寺―大阪・應典院の挑戦―』
http://www.shinchosha.co.jp/book/610407/

といった、脱・葬式仏教、社会参加型仏教の重要性を訴える本は、ここのところ非常にたくさん出ている。しかしはっきり言う。もうこんな主張はたくさんだ。こういう活動は個々の事例としての意義はあると思うが、仏教界全体を活性化させる原動力には絶対ならない。
 なぜかというと、こうした活動はほとんどの場合、「金持ち寺の道楽」に等しい性格を持つものだからだ。
 ここで細かい数字を挙げることはしないが、日本に存在する仏教寺院の大半は、実はとんでもなく貧しい。半分以上の寺は、寺院の活動だけで食べていくことが出来ず、多くの僧侶が僧職以外に、普通の仕事を持っている(かつては学校の先生や村役場の職員などが一般的だったが、現在では肉体労働や派遣社員なども増えているという)。
 しかし『寺よ、変われ』の神宮寺は、その本に直接書いてあるが500軒以上の檀家(平均から見てもかなり多い)を抱える富裕な寺だし、『葬式をしない寺』の應典院も、広大な霊園を経営する金持ち寺だ。彼岸寺の松本が所属する光明寺も、東京の神谷町という一等地にある寺で、『ビッグイシュー』にも写真が載っているが、かなりの大寺である。
 こういう富裕層がありあまる金で社会事業を行いながら、仏教界の大半を占める貧乏寺に向かって「寺よ、変われ」もないものだ。大多数の寺は、変わりたくても変われないのだという視点が完全に欠落している。
 しかも『ビッグイシュー』の松本に限って言えば、対談で中島に語るのは「自分および自分の寺は、今後こうしていきたい、ああしていきたい」というものだらけで、仏教界全体(その大半はとても貧しい寺)を巻き込んで何か変革を起こしたいという意見はほとんど見られない。これ、本当に大乗仏教(仏法を「大きな乗り物」に見立て、周囲の人とみんなで悟りの世界に行こうという考え方。ほとんどの日本仏教がこれに属する)の僧侶が言うことなんだろうか。
 彼岸寺に限らず、神宮寺も應典院も、「できる自分」という高い位置から「葬式仏教はけしからん」と言うだけで、どう仏教界全体の現状を具体的に変えていくのかほとんど提言がない。宗政という世界については先日の書き込みで説明したが、例えば彼らが宗議会議員を目指すなどというのは1つの立派な選択だと思う。その上でいろいろ改革を語るのは、少なくとも「金持ちの道楽」のような形でやっている現在よりよっぽど説得力を持つ。
 もっともこれも先に書いた通り、宗政の世界というのは僧侶の世界にあるまじきほどに腐敗してしまっているのが現状だ。だからそこにあえて踏み込むのは二の足を踏んでしまう面はあるだろうし、それは既存の宗議会の方に責任がある。しかし本当の改革者であるならば、そこにあえて踏み出してすべてを変えてみせる、というくらいの気概があってしかるべきではないか。
 単純な事実として、世間の寺は彼らほど金持ちではなく、彼らのようなスタイルでは寺を変えることは出来ない。そして日本の仏教界には、一応選挙を経た議員たちが、教団全体の道筋をつけていくシステムがあるのだ(残念ながら先日、本願寺派のそれは事実上解体されてしまったけれど)。
 彼岸寺や神宮寺、應典院などは、凡百の宗議会議員など吹き飛ばすくらいの知名度がある。ぜひ一度チャレンジしてみてはどうだろう。それでも票読み上不安というようなことがあるのなら、それは彼ら自身が、実は自分たちの主張は、同業者にはあまり受け入れられがたいものであることを自分自身で知っていることに他ならないのではないかとも思うのだが、どうだろう。
 とにかく、外部のマスコミに取り上げられて喜んでいる前に、これら「新しい仏教」の先駆者たちの「本気」を見せてもらいたいものだと思った次第である。

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2011.06.02

本願寺のヒットラー(2):「最初の宗議会」の自殺

 全国に1万の寺院を擁し、日本の伝統仏教教団の中で最多となる700万人の信者を抱える浄土真宗本願寺派の第298回臨時宗会が、5月26日から30日まで、京都市にある本山・西本願寺の境内に建つ同派宗務庁舎で開かれた。議題は驚くなかれ、宗会を実質的に解散しようというものだった。
 本願寺派の宗会は、1881年に日本の仏教教団としては初めてつくられたもので、これは1890年につくられた大日本帝国議会にも先んじる。実は日本の国会は、本願寺派の宗会をまねてつくられたとも言われているほどだ。その歴史ある「日本の民主主義のふるさと」が、なぜ自らの手でその歴史の幕引きをしようとしたのか。
 「(1)」で書いたように、本願寺派に限らず、いまの宗議会制度の実態とはひどいものだ。選挙は一部の富裕な寺院による金のばらまき合い。議会はそうした金持ち僧侶のサロンと化し、彼らの私利私欲の追及の場にしかなっていない。伝統仏教の危機が叫ばれる今でありながら、宗議会の目は一般の寺院にまったく向いておらず、宗費の無駄遣いだけが延々と続いているような状況だ。一般寺院の間には「宗議会なんていらない」という声がものすごく強い。
 本願寺派には、他の仏教教団と比して少し特殊な部分が存在する。それは本山・西本願寺の門主(住職)を世襲で務め続ける「大谷家」の存在だ。
 浄土真宗の開祖・親鸞は、自らを民衆に寄り添って生きる「非僧非俗」の存在だと定義し、女性と結婚して子供もいた。大谷家はその子孫であり、今日も本願寺派の教学の象徴となっている。
 ほかの教団における本山寺院の住職は、ただ「教学の象徴」というだけで、教団運営に関わる実質的な権力はほとんど持っていない。しかし本願寺派の大谷家はその歴史的な背景から、宗務総長の選任に一定の影響力を及ぼせるなど、宗政の部分にも関われる力を持っている。
 現在の門主である大谷光真氏は東京大学大学院をインド哲学の研究で修了し、オウム真理教事件などの宗教的な社会問題に対して積極的に発言。著書も多く、また世界の宗教者と盛んに交流するなど、日本どころか世界を代表する理知的な宗教者として知られる存在である。本願寺派宗議会の解散をまず教団内で訴え始めたのは、この大谷門主だったとされている。
 大谷門主は腐敗した宗会の姿を見て、現状の教団のあり方では時代に即応できないと判断。自らが指名する有識者らによって構成する、「常務委員会」(定員15人)なる組織を設置し、宗内規則や予算、布教方針などの審議権を宗議会から移そうと提唱したのである。
 宗会は組織としては残るものの、議案の審議権は失われ、常務委員会決定の可否を判断するだけの組織となる。また常務委員会は補正予算を組む権限を持つが、宗会はこの補正部分については議決権を行使できない。
 大谷門主周辺は、この制度改定によって「時代に即応したスピーディーな動きができる教団になる」と説明しているのだが、その代わり「民の声」が中央の意志決定過程に届きにくくなることは一目瞭然である。この案は、どう見ても民主制から君主制への退行にしか見えない。
 実際に当初、既得権益死守の観点もあり、本願寺派の宗会関係者でこの門主案に賛同する向きは少なかったという。同派のある僧侶は「これまでの宗務総長のもとに、門主周辺からその案が持ち込まれたことが何度かあったのだが、そのつど机の中にしまいこまれており、まともに議論されることはなかった」と明かす。
 しかし大谷門主はその持ち前の発信力を活かし、著書や講演などの中で盛んに宗門改革の意義を訴え続けた。そして「宗会不要論」が根強い一般寺院の声は、この門主の案に飛び乗った。風向きは徐々に変わっていき、宗会議員の中にもその風を読み、門主案への同調を口にする者も現れ始めた。
 そして今年1月、本願寺派宗会にこの門主案は遂に上程される。ただ、まだ機が熟していなかったのか、その案が可決するほどには同調者を集めることができなかった。門主派の筆頭格といわれる橘正信宗務総長は、形勢不利と見て議案を撤回。再度の挑戦を期した。そして5月26日、門主側は反対派に対する入念な工作をして、宗会改革案をまた宗会に上程してきたのである。
 筆者は中外日報在籍当時、本願寺派を担当する記者ではなかった。しかし、「最初の宗議会」をつくった本願寺派が、その議会制度を自らで廃止しようとしているというニュースには注目していた。他宗派の宗議会議員も注目していた。ある宗派の議員有志は、他宗派のことながらこの問題を部内の勉強会で取り上げ、「本願寺派の動きはおかしい」という方向で議論していたほどだ。中外日報を退社し、仏教界とは直接の縁がなくなってからも、筆者はこの問題への関心は持ち続けていた。そのことをtwitterなどでもつぶやき続けていたら、ある本願寺派の僧侶の方が、「5月の宗会を傍聴しませんか?」と声をかけてくれた。無職のありがたみは時間だけはあることである。ここはひとつ、生で本願寺派の宗会を見てみようか。そう思い、筆者は5月30日、その議案の採決が行われる日に、京都市の西本願寺へ足を運んだのである。
 結果から言えば、筆者がその日に本願寺で見たものは、圧倒的大差で門主派による「宗会廃止議案」が可決された光景だった。採決に加わった議員73人中、賛成63、反対10という、お話にもならない票差だった。こうして「日本で最初に出来た民主的議会」は、その誕生から130年を経て、そこで議席を占める者たちの手によって自ら幕引きを迎えたのである。
 門主派による反対派の取り込みは熾烈だったという。「これまで存在しなかったポストをいくつも新設し、『賛成すればその地位を保証する』と言って、議員を取り崩していった」とある僧侶は語る。そのポストの中には、東日本大震災に対する復興活動の統括担当などもあったといい、ある意味で震災の政治利用である。大変な執念を感じさせられる。
 今後は選挙を経たわけでもない、門主の指名による少数の「常務委員会」が、1万の寺院と700万の信者を束ねていくことになる。「門主は、自分はそれだけのことが出来る人間だと信じている。だからこれだけのごり押しが出来たし、それを信じてついてくる者も現れた」と、ある僧侶は言う。しかしそのような独裁政治が本当に成功するのだろうか。
 本願寺の宗会を訪れてみて、筆者はいろいろ驚かされたことがあった。まず宗会を傍聴することができたというのが驚きだった。一般的に他教団の宗議会とは「関係者以外お断り」である。関係者であっても傍聴には議員の推薦がいるなど、とにかくあまりオープンにしようとしない。そういう事情を知っているだけに、じつは議場を訪れる直前まで、「本当に傍聴できるんだろうか」とかなりおっかなびっくりだった。しかし実際には、あっけに取られるほど簡単に議場に入ることが出来た。
 議場での議論も自由だった。重要法案が出た天王山的な議会だったこともあるだろうが、賛成派・反対派双方とも、審議の要所要所で積極的に挙手し、起立して自分たちの思いを熱っぽく語っていた。他教団の宗議会にはどこにおいても「形骸化している」「セレモニー的」という批判があり、ボス的議員が認めた筋書き以外の発言は事実上禁止されているような所さえある。そうした事情を知っているだけに、本願寺派の「丁々発止」ぶりには軽い感動さえ覚えたほどだった。
 先に書いたとおり、浄土真宗の開祖・親鸞は自らを「非僧非俗」だとし、その弟子たちである現在の僧侶たちも、家族を普通に持っており、髪の毛も伸ばしている。傍聴席ではそうした複数の僧侶の方々とお話をする機会も得たが、きわめて一般感覚をよく持った、常識的な人たちで驚いた。仏教界には「坊主の常識、世間の非常識」という自嘲的な言葉もあるくらいで、率直に言って寺の世界しか知らない、世間知らずで偉そうな人が結構多い。中外日報在籍中は、いやな思いもたくさんした。しかし、本願寺派の議場にいた同派僧侶の人たちからは、不思議なくらいそうした「いやな感じ」を受けなかったのである。
 このリベラルな空気があったからこそ、日本の民主主義は本願寺から芽吹くことが出来たのではないだろうか。心底そのように感じた本願寺訪問だった。しかし今、その「日本最初の議会」はなくなることが決定してしまった。そしてその決定は、同派の宗会議員たち自らが下した結論だった。
 原因を求めれば、やはり宗会議員たちの自業自得ということに尽きる。いくら大谷門主が聡明で支持されていようと、宗会の目に余る腐敗ぶりがなければ、宗内世論が「反議会」に動くことはなかったはずだ。別に本願寺派の議会が他宗派の議会に比べて特に腐敗していたとは思わない。しかしいいのか悪いのか、本願寺派にはその腐敗を根底から一掃してくれそうな、大谷光真という輝かしいカリスマがいたのである。大谷門主が無邪気な善意でこの改革を考え付いたのか、暗い野心で宗会の隙をついたのか、それは私には分からない。しかしこの「出来ずぎる王様」は、その有能さゆえに確実に本願寺派の歴史に泥を塗ってしまったように私は思う。
 輝けるカリスマが民衆の期待を一身に背負って、民主的な統治システムを否定する。私でなくても思うだろう。これは当時「世界で最も民主的な憲法」といわれたワイマール憲法の議会システムの中から、アドルフ・ヒットラーが出てきた構図に酷似している。いまこの段階で大谷光真門主をヒットラー呼ばわりすることは適切ではない。しかし5月30日、本願寺の境内には「ヒットラーの卵」が確実に産み落とされたと私は思う。これが孵化するのかしないのか、本願寺派は宗会制度が機能していたころよりもずっと大きな責任を背負ったのである。
 筆者は今現在、仏教界には特に縁のない人間である。本願寺派の宗法改定には関心を持っていたものの、東京から京都へ行くのはそれ相応の金もかかるし、軽い気持ちで本願寺訪問を決断できるものではなかった。この本願寺の問題と同時並行的に起こった、ある宗派のある事件がなければ、実際に京都を訪れることはなかったろう。その事件とは、2月に曹洞宗の宗議会で行われた、大本山副貫首選挙規定の事実上の廃止である。
 曹洞宗は本願寺派と並ぶ日本仏教界の最大派閥で、寺院数は1万5000を誇る。この宗派の大本山の副貫首(副住職)は、選挙で選ぶべしという規則があった。副貫首は大本山の貫首(住職)が引退したり死去したりした際に、自動的に貫首に昇任する役職で、それを選挙で選ぶということは、つまり教学の象徴を選挙で選ぶというのと同じことである。
 ただこの選挙、これまで行われたものはいずれも評判が悪いものばかりだった。ある選挙では数億円ともいわれる買収費用が全国にばら撒かれ、またある選挙では2つの陣営がかなり色合いの違う大義を文書などにしてぶつけ合い、教団を真っ二つにし、選挙後も大きなしこりを残した。全国の僧侶の間から「選挙はもうこりごり」という声が自然発生的に上がり、それで宗議会で選挙制度を事実上なくしてしまったのである。正確には選挙制度自体は残っているのだが、2人以上の立候補者がでることが、現実的に非常に難しい制度に改定されてしまった。
 この曹洞宗の動きと本願寺派の動きの間に、何かの申し合わせはまったくない。本当に偶然、同じ時期に2つの仏教教団が、自分たちの中の「民主的システム」を抹殺した。私はこの動きに、何かとてもいやなものを感じた。そのいやな感じに突き動かされて、京都まで足を運ぶ気になった。
 本願寺派の宗会がなくなったのも、曹洞宗の副貫首選挙制度がなくなったのも、両方とも関係者の自業自得である。宗会議員の腐敗ぶり、副貫首選立候補者の無軌道な戦いぶりが、一般の僧侶たちの嫌気を誘い、「もうやめにしよう」という動きにつながったのである。
 その「嫌気」を感じる心境は理解できる。しかし、「議会制度が問題だから議会をやめよう」「汚い選挙だから選挙をなくそう」という考え方は、ファシズムに通じるものである。ムッソリーニもヒットラーも、きわめて「清潔な政治家」として世に出てきたことを忘れてはいけない。そして古今東西、「汚い議会」「汚い選挙」がなかった世界というのは探すほうが難しい。「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けば」というチャーチルの言を、なぜ本願寺派と曹洞宗は顧みることができなかったのか。
 僧侶とて特殊な人間ではない。普通の一日本人である。そしてその僧侶たちが一定数集まってつくっている宗派教団というものも、ごくありきたりな日本人が作っているコミュニティーに過ぎない。そこで「汚い民主主義」と訣別し、「清潔な指導者、清潔な制度」を求める動きが現れ、それが通ってしまったことに筆者は何か空恐ろしいものを感じる。
 これを書いている6月2日の今日、東日本大震災への対応が何よりも急務であるこの状況下において、菅直人内閣に対する不信任案が国会に提出されるという。賛成派は言う。「菅総理は権力にしがみついているだけの汚い奴だ。倒さねばならない」。対して反対派は言う。「この国難の時期に政治ゲームのようなことをして、いったい国会議員は何をやっているんだ」と。立場は異なれど、双方の言葉の底に共通して流れているのは、「議会制民主主義、そしてそこから選ばれた政治家への不信」ではないのか。日本最初の議会システムが否定された中で起こったこの政局の状況に、筆者は非常に強い不安を感じている。

<追記>
 中外日報社を退職したあと、知り合いなどに在職中の体験、特に宗政のことについて話すと、どんな人も非常に「面白い世界だ」と関心を持ってくれた。ある知り合いの編集者は「本にしたら売れるよ。書いてみては」と言ってくれた。筆者はそれに気をよくして一時本を書き始めたのだが、その後、そのやる気は失せた。原因は、そのとき私の筆を動かしていた原動力は、宗政のディープな取材をやりすぎて中外日報から石もて追われたという怨恨だったからだ。ほかの人は知らないが、少なくとも筆者は、マイナスの感情に任せて行う仕事というものに楽しみを見出せない。それで、怨恨をもとに行おうとした本の執筆作業は、原稿用紙換算で120ページほど書いたところで止まってしまった。
 しかし今回京都に行って、本願寺派宗会の「自殺」を見て、筆者の中には「こんなことでこの世の中はどうなるのだろう」という強い義憤が湧いてきた。自宅に帰って、たなざらしにしていた宗政に関する本の原稿を再び手に取った。怨恨は義憤に変わっていた。何だか書き上げられそうな気がした。本当に本になるかどうかは分からないが、今はネットで公開することも出来る。義憤の仕事であるので、別に金にならなくてもいい。その下書きのつもりで、このブログの記事を書いてみた。

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本願寺のヒットラー(1):宗政とは何か

 今週冒頭、浄土真宗本願寺派で開かれた同派の宗法改定を審議する第298回臨時宗会を傍聴しに、京都市の西本願寺まで行って来た。
 …と言っても、おそらく大半の人はいきなり「宗法」や「宗会」と言われても何のことか分からないのではないかと思う。そこで本稿「(1)」では、そうした言葉の解説を中心に、現在の日本仏教の組織構造について解説したい。また、私がなぜそうした世界に関わるようになったのかについても語りたい。
 宗教界のことはよく知っているし、別に筆者の人生にも興味がないという方は、次の「(2)」から読んでいただいてかまわない。

 日本の仏教寺院の多くは、「宗派」という教団組織に所属している。天台宗や浄土宗、日蓮宗、曹洞宗などといった伝統教団については、その開祖である名僧たちの名前とともに、学校の歴史の授業などで習った記憶のある人も多いだろう。
 宗教教団といえど組織である以上、そこには意思決定機関があって責任者があり、命令系統というものが存在する。ではその「仏教教団を仕切る存在」とはいったい誰なのであろうか。
 そう問われたとき多くの人の頭に浮かぶのは、「総本山」や「大本山」などと呼ばれる大寺院なのではないかと思う。天台宗の比叡山延暦寺や浄土宗の知恩院、曹洞宗の永平寺など、その教団の始祖たちが開創した大寺院とその住職が、それぞれの教団を束ねているのではないかと。しかし、実はそれはまったく違う。
 実は日本の仏教教団には「宗議会」と呼ばれる国会のような議会組織が存在する(一部の宗派では「宗会」と呼ぶ)。全国の僧侶の中から立候補者を募り、僧侶の間で選挙を行って当選者を決定(一部の宗派では信者も投票権を持つ)。そうして選ばれた「宗議会議員」たちが年に何度か集まって「宗議会」を開き、教団内の規則や予算、布教方針などを話し合い、決定しているのである。宗議会を通して決められた規則は「宗制」「宗法」などと呼ばれ、その教団に所属する寺院や僧侶はそれに従わねばならない。破れば僧侶の資格を剥奪されるなどの罰則がある。
 この宗教政治、略して「宗政」の世界には、議会のほか、内閣のような組織も存在する。多くの教団では日本の国会と同じように、宗議会で多数派を占めたグループの長が「宗務総長」と呼ばれる総理大臣的なポジションに座る。そして自らで指名した教学担当や財政担当などの、閣僚的ポジションを与えられた僧侶とともに、「総局」「内局」などと呼ばれる教団執行部を形成する。その下には「宗務庁」「宗務所」などと呼ばれる事務部門もあり、宗議会が宗教界の立法府だとすると、宗教界の行政府を形成する。
  多くの宗派において、「総本山」や「大本山」と呼ばれる寺院は、教義上の象徴としての権威こそ持っているが、教団運営に関する実際的な権力はほとんど持っていない。日本の仏教教団を取り回しているのは、これら宗議会であり宗務庁なのである。
 さて、この宗議会と宗務庁であるが、日本の国会や官公庁がそうであるように、宗教教団の組織でありながらすさまじく腐敗している。
 まず宗議会だが、民間団体である宗教教団の選挙に公職選挙法は適用されない。よってその選挙は「より多くの現金を選挙区にばら撒いたものが勝つ」というものになっている。寺院の世襲が当たり前になった現在、宗議会議員の椅子は一部の金持ち寺のボンボンが金で買うものと化し、彼らは宗議会で得た権力でもって、さらに自らの懐を肥やすことに熱中している。
 宗務庁にいる「宗務官僚」たちも、日本の霞ヶ関が行う「無駄な公共事業」よろしく、現代人の感覚にほとんど合わないような布教イベントの実施や布教冊子の発行を繰り返し、多額の金銭を浪費している。そこで飛び交う金銭は、「宗費」と呼ばれる一般寺院から集めた教団所属費である。その源はいうまでもない、一般の信者が一般の寺院に払った布施なのである。

 筆者は昨年まで、宗教界のニュースを専門に扱う業界新聞『中外日報』の記者を務めていた。入社したきっかけは、仕事を探していたときにハローワークで紹介された求人を片っ端に受けていたら、最初に受かった会社だったというだけのこと。何か宗教に対する特別な関心があったわけではなかった。それゆえにこの「宗政」という、それまでまったく知らなかったドロドロとした世界の有様には驚いた。
 中外日報記者としてのメーンの仕事は、宗教行事や教義に関する取材ではなく、この宗政のニュースを追うことだった。上記の通りの汚い世界なので、人間の汚さを毎日毎日まとめて見せられ続けるような仕事だった。不祥事の取材もたくさんした。
 一番印象に残っているのは、曹洞宗系の学校である駒澤大学が2008年にリーマンショックで150億円の損失を出した事件だった。この事件が起きたのは、駒大の経営権を握る曹洞宗の宗議会議員が、専門知識もないくせに実に無責任に大学を経営し続けてきたからだった。その点を筆者は紙面で批判し続けた。しかし経営基盤もそう磐石でない業界新聞で、筆者は少々やりすぎた。
 駒大の経営事情に関するあるスクープ記事を書いたとき、同大が社に強硬な抗議文を送ってきた。内容は率直に言って他愛もないものだったが、会社は震え上がって筆者に取材中止を命令。その上、筆者に何も知らされぬまま社内賞罰委員会が開かれ、欠席裁判の形で筆者は譴責処分を食らった。そんな「報道機関」に在籍し続ける気はそこで完全に失せたし、また在籍し続けられる状況でもなかった。そこで筆者は、2010年末をもって中外日報を去ったのである。

 宗政の説明と、筆者の自己紹介はそれまで。いよいよ本題である、浄土真宗本願寺派の宗法改正問題を語る「(2)」に移りたい。

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2011.05.24

そつなきがゆえに:映画『レッド・バロン』鑑賞記

 第1次世界大戦におけるドイツ空軍の撃墜王、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの生涯を描いた映画『レッド・バロン』を見てきた。

『レッド・バロン』公式サイト
http://www.redbaron.jp/

 正直言っていざ鑑賞する直前まで、当方の中にはかなり「いやな予感」が渦巻いていた。
 前売り券を買おうといくつかの金券屋を見て回ったがまったく扱っていない。仕方がないので上映予定館の窓口へ赴くと、「この映画は東日本ではここでしか上映しない。また上映期間も2週間限定だがそれでもいいか」と、購入前に念を押されたのである。
 封切りになってその映画館へ行った日のこと。上映館はビルの7階にあり、そこへ上がるエレベーターはすし詰め状態になっていた。「なんだ、十分注目されているじゃないか」と思ったのもつかの間、ほとんどの乗客は某有名女優が主演の最新邦画を上映していた5階でぞろぞろと降りていき、エレベーターにはわずかな高齢者と当方だけが残っていた。
 そういうわけで「こりゃ、金をどぶに捨てたかも知れんなあ」と、やや後悔しながら上映開始のベルを聞いたのだが、実際に見てみると十分に面白い作品だった。
 率直に言って、ストーリーは他愛もない。貴族出身の若きパイロット、リヒトホーフェンは第1次世界大戦でその天賦の才能を開花させ、敵にも味方にも愛される「空の英雄」となっていく。航空機が初めて本格運用された戦争である1次大戦の空には、特にその初期、非常に牧歌的な空気が漂っており、空中戦は殺し合いというより、むしろ騎士道精神にのっとったスポーツ的な撃墜競争だった。貴族出身のリヒトホーフェンにとってその雰囲気は肌に合うもので、連日本当にスポーツ競技へ赴くような気軽さで空への出撃を重ねていた。しかしひょんなことから知り合った従軍看護婦との交流から、地上戦で傷ついた兵士たちの悲惨さを突きつけられ、またドイツが劣勢になっていくにつれて重苦しくなっていく周囲の空気に、リヒトホーフェンは精神を圧迫されていく。戦争末期、制空権を完全に敵側に奪われた中で彼は自分の戦争観の浅はかさを恥じ、「ベルリンが思い願っているような英雄にまつりあげられるのはごめんだ」と、あえて絶望的な空へ飛び、命を落とす…という内容である。
 はっきり言うが、何だか非常によくありがちな戦争物語である。筆者はリヒトホーフェンの生涯について専門的な知識を持つ者ではないが、別に主人公がリヒトホーフェンでなくとも、また舞台が1次大戦でなくても通用するようなシナリオだ。しかしそれは逆から見れば、非常にそつのない、優等生的なシナリオであるとも言える。変に客を退屈させるようなポイントもないし、歴史に関する知識がない客もスッと物語に入っていける。名作とは思わないが、入場料の元を取るには十分な良作だと思うのである。
 しかしそれゆえに筆者はこの映画を見終わって、単館上映で公開期間もごく短いという、配給会社の冷淡さに合点がいった。この映画は「平均点以上を確実に取るそつのない良作」だとは思うのだが、「これは」というパンチには欠ける。少なくとも映画評論家たちの芸術的な視線からはまず賞賛されないだろう。家族連れやカップルと言った一般の観客にとっても、「まあ面白かったね」「うん」だけで終わってしまう作品だろう。そつなきがゆえに、この映画ならではという印象を客に与えづらい内容になっているのだ。
 ただ戦史マニアの好事家的な視点からは、なかなか面白いものだと思う。CGで再現された空中戦の迫力は見ごたえ十分。複葉機がくるくると舞いながら絡み合うように戦う光景は「ああ、こういうのを巴戦というんだな」と、何だか感銘を受けてしまうレベルである。巨大な複葉爆撃機の開放銃座から全身をさらして機銃を撃ちまくる銃手や、大空にふさがり立つ閉塞気球など、1次大戦ならではの空戦光景は映画としてみた場合、何か新鮮な感動まで与えてくれる。
 制作費に限界があったのか、リヒトホーフェンの生涯における重要な空戦のいくつかがまったく映像化されていないなどの不満はある。しかしその分、映像化した部分には最大限の金を注ぎ込んだ跡が見られ、そういう不満も細かいものだと忘れさせてくれる。
 正直に言って、この映画を一般の人に勧められるかといえばそれは厳しいと思う。しかしだからこそ、歴史ファン、戦争映画ファンはなるだけこの映画を見に行ってほしいと思う。単館上映で公開期間も2週間という条件面から考えても、この映画は日本でそんなに稼げはしないだろう。そして映画評論家たちが褒めるような作品でもないとすれば、この『レッド・バロン』の興行成績を見て映画配給会社が選択するのは「もう戦争映画を配給するのはやめましょう」という道だろう。上述の通り、この映画は決して悪い作品ではないのだ。好事家的な視点ではそこそこ楽しめる。マニアックな作品であるゆえに、マニアックな人たちが支えてあげてほしいと思うのである。

追記、
 本映画はドイツ資本でつくられたのだというが、リヒトホーフェンの仲間であるユダヤ人パイロットの異様な持ち上げられ方と、リヒトホーフェンの従兄弟でともに戦ったヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンの異様な無視っぷりに、「ああ、やっぱりドイツ映画なんだな」という思いを強くさせられた。あえて言えば、この2点だけがこの映画に感じた「不自然さ」であった。
 エンドロール前に登場人物たちの史実上の伝記が紹介されるのだが、上記のユダヤ人をはじめ、いろいろ詳しく語られる人たちが大半の中で、ヴォルフラムについてはただ「戦争を生き延びた」と簡単に語られるのみ。やはりナチを全否定した上に立つ現在のドイツでは、「ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン 1次大戦を生き残り、ドイツ第3帝国空軍に所属。スペイン内戦にコンドル軍団を率いて介入し、ゲルニカ爆撃を指揮した。ヒトラーの信頼を得て空軍元帥となり、敗戦後、アメリカ軍の捕虜収容所で死去」とは書けないのである。嗚呼。

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2011.05.21

【宣伝ご容赦!】南北戦争史の連載を始めます

 かつてより親交のある、『週刊プロレス』『格闘技通信』の元編集長・杉山頴男氏の主宰されるメールマガジン、

「武道通信かわら版」
http://archive.mag2.com/0000036568/index.html

にてこのほど、「『USA』ができるまで アメリカをつくった戦い、南北戦争」と題した、アメリカ南北戦争の通史を連載させていただくことになりました。
 上記のサイトで読める、第1回の序文に書かせていただいたとおり、南北戦争はアメリカという国家の性格を形作った、同国の歴史の中で最も重要な戦争です。「アメリカを知りたくば南北戦争を知れ」とも言われるほどです。しかしなぜか、アメリカと「地球上で最も重要な2国間関係」を結んでいる日本人は、この戦争についてほとんど知識がありません。そのようなことで本当にいいのでしょうか。本連載はそういう思いから、今年が南北戦争開戦150周年の年であることを記念し、始めさせていただくものです。
 本連載はもとより学術論文ではありませ。そもそも私にそのようなものを書く力はありません。ただアメリカでは高校レベルの教科書にも載っているような知識を紹介しながら、アメリカという国の背後にはどのような歴史があり、理念があるのかを語ろうというだけのことです。政治・経済・軍事などに関する、細かでマニアックな知識を開陳するよりは、南北戦争で行われたこと、確立されたことが、現在の「超大国アメリカ」が誕生する上でどのような影響を与えたのか、また現代から見た南北戦争の意義とはということについて語っていければと思っています。
 講読は無料です。もしお暇のある方がいらっしゃいましたら、お目を通していただければ幸いと思っております。

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