ここ数日繰り返して書いてきた、私の仏教界に対する思いについて、何と書き込み中でも何度か言及した、
彼岸寺
http://www.higan.net/
の幹部である松下弓月氏からtwitter上でご反応を賜り、私の書き込みへのご意見、また私の考える「あるべき仏教の姿」についてご下問いただきました。せっかくのご機会です。twitterではなく、ブログで長く書いてみたいと思います。もとより雑文・乱文しか書けぬ身ですが、お付き合いいただければ幸いです。
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松下様。
今般は私のごとき無職の素浪人に、そちら様のような、現代日本仏教界の輝ける俊英からお声かけいただき、本当に恐縮です。
酒井雄哉さんの著書にもありましたが、お寺というのは、相手の身なりや肩書きで露骨に対応を変えてくる、大変差別的な所です。それはかつて、寺に日参するのが仕事だった私も、経験上とてもよく知っています。リアルの世界であれば、松下様と私など、話もできない間柄でしょう。それを可能にしてくれたインターネット技術の進展にも感謝しつつ、論に入りたいと思います。
彼岸寺様や應典院様、また神宮寺様の活動について、松下様は「葬式仏教からの脱却よりプラスアルファを目指すという見方のほうが正確」と仰いました。なるほど、この「プラスアルファを目指す」というお言葉には、私もひざを打ちました。しかし、それはやっぱり「アンチ葬式仏教」でしょう。中村甄ノ丞様(http://twitter.com/#!/ms06r1a)がすでにご指摘の通り、それは「僧侶は一芸あって当然という状況を産んでしまう」からです。
定年退職したサラリーマンが、職場という軸を失って何も出来なくなる、といった話は、いろいろなメディアなどでもよく聞くところです。普通の人というのは、やはりそんなに引き出しを多く持ってはいないものです。
松下様、やはりあなた方は間違いなく「すごい人たち」なのです。先の書き込みでも引きましたが、彼岸寺のこのページを虚心に見てください。
http://www.higan.net/about.html
東京大学卒、国際基督教大学卒、カリフォルニア州立大学よりMBA取得、ネパール国立トリブバン大学客員研究員、漫画家…。皆様方は仏教界云々さえ飛び越えて、一般社会からの視線で見ても大変なエリートです。そういう人たちに「プラスアルファ」はそう難しくもないことでしょうけれども、それと一般のご寺院様を混同して話すのは非常な間違いです。應典院様や神宮寺様にも、これまでいろいろ書いてきたような、さまざまなアドバンテージがあります。
「普通の人たち」から見て、そういう特別な背景を持った人々に、「自分たちのようなプラスアルファを持つべきだ。そうしないとこの先あやうい」などと言われたら、理屈を飛び越えて反感を買います。たとえ僧侶であってもです。その意味で、やはり皆様方は「アンチ葬式仏教」であり、「アンチ旧来型仏教」なのです。
その方々のお名前を出すのはあまりに礼を失するのでやめますが、例えば神宮寺様のご著書に対し、「好き勝手なこと書きやがって」といった感想を口にする僧侶の方々は、結構おられました。私としてもそういうものはレベルの低い発言だとは思います。しかし「金持ち寺の道楽」とは私の言葉ではなく、ある僧侶の方から聞いたものです。現実としてそういう状況があるです。
「僧侶がそんなことでいいのか。もっと自覚を持って自己を磨くべきだ」というのは、理屈としてはまったく完璧なものです。しかし松下様。私は思うのですが、日本の仏教というのはその歴史上、一部の高僧たちを除いて、腐敗していなかった時期というのがないのではありませんか。
戦国時代までは僧兵や、本願寺の一揆軍団のような存在が普通にありました。江戸時代の僧侶は、戸籍管理官の地位や寺領の上にあぐらをかいていました。明治から昭和初期までは、引き続いて寺領の上がりで食い、天皇制とともにあった軍国主義を露骨に擁護していました。そして今は「葬式仏教」です。
松下様、私は所詮僧籍もありませんし、暴言だと自覚しながらあえて言います。こんな歴史を経てきた上で存在する「宗教者」たちが、すべて自覚的に自己研鑽してプラスアルファを獲得できるとお思いですか? 実際、あなた方は反感さえ買っている。
土屋敏男さんというテレビプロでユーサーの方が、こんなことを仰っているといいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E6%95%8F%E7%94%B7 より
実は、ぼくら地上波のテレビをやっている人たちは、視聴者を信じていないんですよ。見ている人のことを、かなりモノがわからない人だと想定して、その人たちにどう見せるかと工夫しているんです。ものすごく悪い言い方をすると、もう「馬鹿にどう見せるか」と、みんな絶対にクチには出さないけれども、どこかの所ではみんながそう思っているようなフシがありますね
この発言自体の是非はおいておいて、私が仏教界に出入りしていて非常に驚いたのは、一般レベルのご寺院の中には、在家の人にもあまりいないような、病的な遊び人や知的怠惰症の住職が多かったことです。私は中外日報入社前、一般企業の取材をやる会社で働いていたこともありますが、どんな企業の重役だって、本当はどういう人か分かりませんけれども、外から記者が来たということになれば、神妙な顔をして取材に答えていました。
しかしお寺の住職と来たら、昼から酒を飲んでいたり、ステテコで出てきてそのまま対応したり、日没になるとすぐなじみの女のいる風俗店に飛んで行ったたり(その予約を私の眼前でする)、目を疑うことの連続でした。ある程度気心の知れた仲になってならともかく、初対面でそういう態度の人も相当いました。それが決して「ほんの一部」とはいえないレベルで。
もっとも、すばらしい人はどこまでもすばらしい人たちでした。しかし私はそういう経験から、一般レベルのご寺院様の資質に、ほとんど期待していません。上で挙げたほどにひどいは人でなくとも、「普通の僧侶」の方々は本当に、宗教者として何か特別なものを持っているわけでもなく、「町の普通のおじさん」と同程度に普通です。
外部の私が見てもそうなのです。松下様だって、こんな現状はご存知でしょう。その上でなお、自分で研鑽してプラスアルファを持つ、「自己改革型」で旧来仏教を変えられると、本当に思っておいでですか?
「120%そう思っている」とお答えになるのでしたら、もう松下様とのお話はここで終わりです。100年お話ししても、松下様と私の間に共通の認識は生まれないでしょう。しかし「お前の言うことにも分がある」と思っていただけるのでしたら、この後もお読みいただきたいと思います。
私はやはり日本仏教の改革は、少なくとも教団レベルで僧侶の資質をきちんと管理するシステムをつくって、基準に満たねば「留年、停学、退学」もありえるような体制でやるべきだと思います。教師資格は更新制にすべきでしょう。そしてそのシステムの中核にあるのは、やはり現状では宗議会と、それがうまく「政治主導」できる宗内行政機関だと思うのです。
もちろん、宗議会などというのは仏教界の腐敗が集中しているような場所です。しかし一応、制度上その腐敗は、選挙を経て「掃除」できるではありませんか。
松下様。あなた様は私に、「あなたの考えるあるべき仏教の姿は?」とご下問なされた。いま、はっきりと申し上げましょう。私の考えるあるべき姿とは、松下様が宗務総長に就任しておられるような姿です。松下様のような、才能と気力にあふれた偉大なる英傑が、宗内有権者の磐石な支持を受けて、宗議会議員に当選し、内局役員も経験して総長に座る。そのようなことが可能な仏教界になってくれることが理想です。
この選挙を経るということが重要なのです。私は彼岸寺様や應典院様、神宮寺様らの活動を、浄土真宗本願寺派の大谷光真門主の行動と重ねて「エリート主義」だと批判しました。どんなに腐っていても、「民の声」を聞くのは重要です。そしてどんな偉人であっても、絶対権力者の椅子に座った者は必ず腐ります。だから人類は、幾多の戦乱や国家体制の崩壊を経験しながら、「やはり民主主義が一番なのだ」と現在の政治のあり方をつくったのではないでしょうか。「宗教の世界はまた別」という意見は、私は先に述べたとおり、現状の日本仏教界の僧侶の方々の資質問題から容れることが出来ません。
松下様以外でも、彼岸寺様の各メンバーが、また應典院様や神宮寺様らが、総長や宗議会議員として教団の中枢でバリバリと改革を行っている姿を想像すると、私は非常にわくわくするものを抑えることが出来ません。皆様方の才能を待っている椅子が、日本仏教界には存在していると思います。
もちろん苦難の道でしょう。現状ですぐに立候補して受かるとは、失礼ながら私は思いません。しかし彼岸寺様メンバーや應典院様や神宮寺様は、一寺院の住職だったり、任意団体の役職者で終わる人ではないと思います。そのすばらしきご主張の数々は、包括法人のど真ん中でやっていただけませんでしょうか。心ある全国のご寺院は、それを待っていると思います。
これが、あまり聡明でもない、単なる失業者の私の考えることです。松下様やそのお仲間の方々にかかれば、散々に論破されて砕け散る程度のことかもしれません。しかし私は、私淑するエイブラハム・リンカーンの言である、「『穏当でない』という理由で、ある言葉を演説から省き、議論に打ち勝つよりも、自分の言いたいことをすべて堂々と言って、議論に負ける方を私は選ぶ」にならって書いてみました。本当に松下様と私との身分の差を考えれば、私のような者の言葉がそちらに届くこと、それのみをもって幸いとすべきでしょう。インターネットに感謝です。
また最後に、リンカーンと同じ時代に生き、南北戦争直前に、黒人奴隷解放のための一揆を起こして空しく鎮圧された、ジョン・ブラウンという人物の言葉を引いておきましょう。
私を排除するのは簡単だ。現にいま、ほぼ排除されつつある。しかし私を決起させた問題はまだ解決されていない。この黒人奴隷問題は、まだ解決されていない。
松下様とそのお仲間にかかれば、私をあしらって論破することは造作もないことでしょう。それには、無数にいる松下様の支持者の方々からの攻撃も付随してくるでしょう。私は罵倒され、否定され、数日後にはもう誰からも相手にしてもらえなくなっているかもしれない。しかし私のような愚か者にまでものを考えさせた「日本仏教の危機」は、それで解決されたことにはなりません。
松下様、あなたは能力のある人です。先日書いたように、その「本気」が仏教界を輝かしく照らすことを願ってやみません。
時節柄、なにとぞご自愛いただきたく、失礼いたします。
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